FIREを目指していますが、健康と自由を求めてのことです。
健康に関しては、起床就寝の時間を毎日固定化したり食生活を変えたりとしていますが、仕事のストレスによる心へのダメージも何とかせねばと思っています。
禅とか釈迦の哲学とか効くんじゃないかと思い学び始めており、今回は住職の書かれた「心配事の9割は起こらない」を読んだので記事にしました。
正直なところ、これまで仏教の教えってピンと来てなかったのですが、アドラー心理学ともミニマリストとも共通点を見出せ思考が繋がってきた感じがします。
3000年近く引き継がれてきた思考法は伊達じゃないです。
禅思想とアドラー心理学との共通点
アドラー心理学を分かりやすく説明してくれている対話篇「嫌われる勇気」では、人が幸福になるためには以下の3つが必要だと書かれています。
- 自己受容
- 他者への信頼
- 貢献感
これは本書で書かれていた禅の思想と非常に共通していました。
自己受容
生きていれば人間の力ではどうにもならないことは起こります。
何でこんな目に合わなければならないんだと思うのが人間の自然な感性です。
その心が不満や不安を呼び起こします。
そのまま、あるがままに受け取る それが禅の思想だそうです。
「それって、ただ流されてるだけでは?」と思うと、それは違うとあります。
川下りをするときに、川の流れに逆らって上流に登ろうとするのは無茶です。
しかし、ただ流されているだけでは、岩に激突してしまうかもしれません。
無理のない範囲内で、今できる行動をするということなのだと思います。
「自己受容」は「自己肯定」とは異なり、今のありのままの自分を受け止めるというものでした。
今実現されていない状況に対して、後悔や期待を持っても何も変わらないので、今を生きることに集中しましょうということですね。
貢献感
本来、人生とは自分のやりたいことを、得意なことを一生懸命やって、社会になんらかの貢献をする。
その結果としてなにがしかのお金が入ってくる
良い言葉だと思い引用しました。
人間食べなければ生きていけず、資本主義社会においてはお金がないと食べ物が手に入りません。
そのためお金がないと死んでしまうという錯覚を植え付けられていて、我々はお金を最優先にしてしまいがちです。
いえ、お金があれば大半の事はできる社会にはなっています。
しかしお金を第一としてしまうのは優先順位が逆になっていて、やりたいことのためにお金が必要になってくるのであって、大金得た後に何に使うか考えるのは変な話です。
↓書籍「君は1万円札を破れるか?」では、お金の価値が絶対という価値観は資本家による洗脳であると書かれています。
禅思想とミニマリストの共通点
物が増えると一見豊かになったようですが、どうやって維持しようとかもっと良い物を手に入れなくてはと心配事が増えます。
物を持ちすぎないというのが禅の思想にあるそうです。
ミニマリスト関連で断捨離という言葉がでてきますが、インド発祥の思想で禅と起源は同じなのではないかと思います。
断捨離とは、不要な物を増やすことを「断ち」、余剰な物を「捨て」、物への執着から「離れる」行為です。
ちなみに生きていくうえで必要ない物はすべて捨てろとは、言われていません。
物を手に取ることで、思い出が巡ってくるものは残して良いでしょう。
「今後使うことがあるかも」「折角手に入れたのに勿体無い」という物欲起因の物は手放した方が良いでしょう。
他の本ではお金もらえるなら譲ると思えるものは要らない物とされていました。
↓ミニマリストの著書「手ぶらでいきる。」を読んで書いた記事です。
情報もミニマルに
現代社会はインターネットを介して無限に情報がやってきますが、情報があり過ぎると心をどこに置いたらよいかわからなくなります。
物のように場所を取るわけではありませんが、入手する情報も制限した方が良いです。
特に夜は、新しい情報を知ると脳が考えたり悩んだりして睡眠の妨げになるため、情報のインプットは控えてリラックスできる時間を取った方が健康に良いそうです。
↓「デジタル・ミニマリスト」を読んで書いた記事です。
まとめ:ミニマリストもアドラーも禅に通ずる
禅の思想はアドラー心理学ともミニマリストとも共通点を見出せました。
あるがままを受け入れ、働くことで社会に貢献する喜びを得る。
物欲と情報を減らすことで、心の安定を取り戻す。
正直なところ仏教としてこれらの考えを聞いていたときは綺麗ごとに感じていたのですが、別の視点から禅の思想に繋がることで、無に落ちやすくなりました。
雑食で本を漁っている利点だと思います。
いろんな物事を禅の思想に紐づけて考えてみると面白いかもしれません。



