数々の大企業を立ち上げた渋沢栄一氏の「論語と算盤」は明治維新後の資本主義になったばかりの時代に書かれた本ながら、現在の資本主義の抱える闇を的確に予見した内容となっています。
暴走する資本主義社会の中で人々は自身の利益のみを追求してしまいがちです。
こんなことを続けていたら資本主義社会は崩壊してしまいます。
欠如してしまった「道徳」を持つことが重要であるという内容に合点がいったので記事にしました。
暴走する資本主義社会には道徳が欠如している
資本主義とは利益を増やしていくことを是とするものですが、人間は心の弱さからただひたすらに利益を追求してしまいがちです。
そうすると金銭が万能であるという思想に陥り、モノの奴隷となってしまいます。
明治維新後を生きた渋沢栄一氏がこれを予見していたのはすさまじい先見の明の持ち主だったと思います。
↓我々は生まれた時から資本家によってお金の価値が絶対であると洗脳されていることを下記で記事にしています。
自分の利益さえあれば他はどうでもよいと考え、道徳度外視の人々が増えています。
明治維新の前後で比較して、物質文明は成長を遂げたが、国民の人格は退化してしまったと渋沢氏は書いています。
人格は消滅すらしていないかと心配されていました。
↓資本主義の暴走が人類を追いこんでいることを書いた記事です。
↓渋沢氏の人生の話も面白かったので、YouTube大学の動画へのリンクを載せておきます。
◆事例:自己中で全員が損するインドの道路
インドに仕事で数ヶ月滞在していたことがあるのですが、車道の車線はあってないようなものでした。
交差点での信号待ちの時に、車・バイク・リキシャ(三輪タクシー)タクシーが我先にと車線を無視して前に割り込んでいくため道路はぎゅうぎゅうになります。
信号が青に変わっても道路は密度が高すぎて全員なかなか前に進めません。
個々人が自分だけが早く進みたいと行動した結果、全員の進みが遅くなるという何とも悲しい事例でした。
道徳を持って行動することで全体にプラスの効果が起こり、その全体には自分も含まれるということは現代人が考えなおさなければいけない事項と感じます。
↓インド滞在経験の記事です。
ルールではなく道徳が大事
欧米では何でもかんでもルール化しますが、それは良くないと渋沢氏は言っています。
例えば、親子兄弟の権利や義務を全て法律で定めたのでは、一家が険悪になってしまいうまく機能しなくなります。
資本家と労働者の関係もこれと同じと言います。
現代では、労働者は弱い立場にあるため法律により守ってもらわなければもっと酷い目にあいますが、そもそも資本家が自身の利益のみに執着し労働者を搾取することが問題であるということですね。
正義の無い力は暴力であるように、道徳の無い資本家は害悪です。
論語から道徳を学ぶべきだと渋沢氏は明治維新後の当時の日本人に訴えており、それは現代日本にも通ずるところだと考えます。
道徳だけでも足りない
道徳が足りないということを見てきましたが、利益を追求することが悪なのかというとそうではありません。
人間は心の弱さからただひたすらに利益を追求してしまいがちなため、昔の哲学や宗教はお金儲けを悪と定め人々の行動を制限していました。
しかし利益を追求するからこそ文明は発展していきます。
道徳だけを重視して発展を止めてしまうのもまた良くありません。
◆事例:道徳だけ重視した宋の滅亡
中国の宋では、頭でっかちの理論を振りかざし利益を掴むことを否定してかかった国策をとっていたそうです。
すると内乱が続いてしまい、最終的にモンゴル人の元にとって代わられてしまっという歴史があります。
道徳だけを重視した国は一見理想郷のようですが、現実問題としてそれだけでは成り立たないという事例だと思います。
大事なのは利益追求と道徳のバランス
現代の資本主義は圧倒的に道徳が欠如しています。
資本主義とは利益を増やしていくことを是とするものですが、個人の利益だけを追求していては資本主義制度そのものを破壊して全員被害を被ることになりかねません。
お金とは大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものでもある
と渋沢氏は書かれています。
何事もバランスが大事であると考えます。
お金を大事にするということを勘違いすると、ひたすらケチに徹してしまうことがあります。
多くのお金を貯め込み使い切れずに死んでしまったら意味があまりありません。
一生分必要なお金を稼ぎ終わったらFIREしてお金稼ぎではない取り組み(ボランティアとか)をしていくというのが1つの解ではないかと思います。
ちなみにFIREに向けての支出の最適化は何でもかんでも支出をケチろうということではありません。
自身が本当に必要なものとそうでないものを分類して、必要な物だけに支出を絞るように最適化しようというものです。
↓管理人の支出は極めて少額ですが、現代社会はお金かからず満足な生活をしやすいと感じている記事です。
競争の善意と悪意
競争にも良い物と悪いものがあると書かれていました。
ライバルに勝つために朝早くおきて勉強などの努力に励むのは、良い競争です。
ライバルに勝つために騙して罠にはめてやろうというのは、悪い競争です。
競争して切磋琢磨することで文明は発展していきます。
本来、競争は悪いものではありません。
しかしそこに人間の自分だけ利益を上げようという邪念が入り込むことで、負の連鎖が生じてしまいます。
江戸時代の日本には、売り手よし・買い手よし・世間よしの「三方良し」の考え方がありましたし、資本主義化で欠如してしまった道徳を取り戻すことがサステナブルな社会に繋がると考えています。
まとめ:資本主義の暴走を止めるのは道徳
暴走する資本主義社会の中で人々は自身の利益のみを追求して、道徳が欠如してしまっているということを見てきました。
道徳だけを重視して利益を求めることを辞めた方が良いのかというとそうではなく、その2つのバランスが大事です。
論語と算盤、つまり道徳と利益追求の両輪をもってはじめて社会は真の豊かさを手に入れることができるのだと思います。
↓経済に関する記事です。