大原扁理さんの著書「年収90万円でハッピーライフ」を読みました。
管理人の現状の生活レベルとあまり変わらないなと感じ、これならFIREのための資金全然要らないんじゃないかとも思えてきました。
こちら読んで「お金が沢山ないと幸せになれない」という前提が崩れたので、生き方への考え方がガラっと変わりました。
嫌ではない週2日の労働のみで、十分幸せを感じられる生活ができるというのは目から鱗でした。
「年収90万円でハッピーライフ」を読んで考え直すFIRE
「年収90万円でハッピーライフ」を読み、FIREに向かう自身の考えに影響があったことを記します。
社会人になってからサラリーマンしかしてきていないため、最近まではそれ以外の生き方が選択肢としてあがってきていませんでした。
FIREを知ってからは、フリーランスとして働くのは飢え死にするほどリスクが高いわけではないし、逆にサラリーマンだってリスクがあるため、選択肢としてアリだと考えるようになりました。
そして「年収90万円でハッピーライフ」を読んで第三の選択肢が加わりました。
必要最低限だけ働いて稼ぐ(ミニマリストのフリーター)のも人生として成り立っているなと感じました。
年収90万と聞くと極貧の苦しい生活をイメージしてしまいますが、東京の田舎のアパートに住み食事を自炊で質素にすませ、読書と散歩を趣味に過ごしている著者に苦しさは見られませんでした。
管理人は昔から支出が少なかったのですがコロナ禍でさらに支出が減り、この本の著者と同じような生活になっています。
管理人の暮らしぶりは「幼少期から”支出の最適化”をしてて気付いたらFIRE可能に」の記事をご参照ください。
するとふと、何で嫌いなサラリーマンを週5日も頑張ってやってるんだっけ?という気持ちになってきます。
FIREに向けての計画で必要な生活費をバッファを積んで見積もっているのですが、こんな使わないし墓場に残金を持ってくことになるだけなんじゃないか?という思いも湧いてきます。
社会と関わることに疲れた
FIREって意識高い系の言葉に聞こえることもあるので、そう考えると管理人が目指しているのはFIREではないのかもしれません。
サラリーマンを10年以上続けていて、直接の原因が思い当たらないもののストレスの蓄積で大分疲弊しています。
自由を手に入れストレスから解放されて健康になりたいというのがFIREを目指すに至った理由です。
職場の上司や同僚は客観的に見て人の良い方たちだと思うので、競争社会(資本主義社会)の中で人に関わるということにもう疲れてしまっているのかもしれません。
人を見れば嫌でも自分と比較してしまいます。
競争して勝つことで得られる幸せを求めると勝ち続けられないと不幸になるので、回避したいと思います。
人と関わることを辞めてしまえば煩悩の発生源を断てて良いのではという極端な思想も湧きます。
社会が嫌いで関わりたくないのかもしれない
著者の考え方に共感する部分が多かったです。
社会というものは常に比較して、違う部分を見つけ出し、無いときは無理やり作りだしてでも、誰かを排除・攻撃したがるもの
SNSの炎上とか本当にこれだなと思います。
学校とかもこの価値観で構成されているのでもう戻りたくないです。
サラリーマンも同調圧力が強くて眩暈がします。
「ルールだからダメ」「それって常識でしょ」という人とは距離をとる
他人に迷惑をかけてはいけないけれど、それとルールを守ることは同じじゃないと思います。
今となっては意味ない、むしろ皆がダメになるルールが残っていても、ルールだから守れと言ってくる人がいるし、社会にはその空気感があるように思えます。
日本がそうなのか人間がそうなのかは分からないですが、もう関わるのに疲れてきました。
「若いうちに苦労していない人間は立派になれない」「仕事っていうのはガマン料と同じ」は本当でしょうか?
自分の過去の経験を無駄だと思いたくないだけなのではないでしょうか。
社会人なりたてのころは、仕事はガマン料だと思っていました。
でもそれっておかしくて、相手に価値を提供できたかどうかが重要なのであって、自分が我慢したかどうかに価値なんてないんですよね。
「楽して稼ぎたい」はもちろん駄目です。それは相手に価値を提供しないのに金だけいただこうという強盗行為だからです。
そして楽して稼ぎたいとか甘いこと思っていると詐欺師に金を盗られます。
楽しい仕事に出会えればそれは幸せなことですが、少なくとも辛くてガマンしないといけないような仕事は辞めて良いと思い至りました。
東アジアの若者は日本と同じく、金銭的・経済的な文脈のなかだけで生きていくことには疲労と限界を感じている。
筆者がこのように書いていたので、管理人の心の闇は結構現代病なのかもしれません。
FIRE後に暇で働くは誰にでも当てはまるのか
FIREしても暇なので結局働くというのはなかなか説得力のあるように聞こえます。
しかし管理人に対しても当てはまるのかは「年収90万円でハッピーライフ」を読んで怪しみ始めました。
人と関わることを面倒に思い、電話はしないし、LINEはインストールすらしてないし、SNSも一時期捨てていたので、いくら暇でも人と関わらないといけない仕事には戻らない気もしてきました。
このブログやtwitterを始めたのはFIRE後にFIRE仲間ができたら良いなと思い立ってのことでしたが、管理人の性格からしたら人間関係を断捨離して隠居しても平気なようにも思えます。
ブログとSNSはアウトプットのためには有効な手段と考えています。
ただ公開していると炎上リスクもあり、それはFIREして折角手に入れた心の平和を完全に崩壊させる要因となりうるので、非公開にして完全に個人の備忘録と今後するかもしれません。
隠居したことがないのでそのときどう感じるかは現時点で正直分からないです。
社会から解脱するかもしれませんし、しれっと戻ってきて再び働くかもしれません。
こう生きなければいけないという縛りを作らず、また他人からの影響を極力減らして自身の自然なありようの生き方を模索していきたいと考えています。
著者:大原扁理さんの別の著書『なるべく働きたくない人のためのお金の話』も読み「さらば、全てのサラリーマン。~ なるべく働きたくない人のためのお金の話」で記事にしています↓
また『不安は9割捨てました』もよみ「FIREで合わない環境から脱出」で記事にしています↓
本書で大原扁理さんと対談されていた方の本「0円で生きる」の読書感想記事です↓
まとめ:嫌なことを辞めたいので、行きつく先は隠居か?
幸せになりたい→お金が沢山必要→給与が高い都心の会社で沢山働く→会社に近い家賃の高い家に住む→お金がもっと必要→もっと沢山働:||
第一歩の「お金が沢山ないと幸せになれない」という前提が崩れたので、生き方への考え方がガラっと変わりました。
嫌ではない週2日の労働のみで、十分幸せを感じられる生活ができるというのは目から鱗でした。
↓「世間とズレちゃうのはしょうがない」の読書感想記事です↓
↓支出の最適化とダイエットの共通点を考えた記事です↓
↓本ブログの40記事目までをまとめた記事です↓