あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい~

現代人の欲は留まるところを知らないですね。
しかし手に入れても新しい物が欲しくなるだけで、満たされることはない。
むしろ物が増えて邪魔!
という感じでミニマリストが台頭してきています。
- 煩悩を打ち消せるようになった方が良いのではないか
- マインドルネス流行っているし瞑想も気になる
ということで瞑想や悟りについて書かれた「超悟り入門」を読んで記事にしました。
悟りについて誤認していたのですが
- 「悟り」で真理を体得できるわけではない
- 煩悩はなくならないので、ほどほどに抑えよ
と本書に書かれていました。
「悟り」は何十年と瞑想修行を続けないと到達できない境地みたいなイメージでしたが、だいぶ身近にいました。
そしてミニマリズムや支出最適化にきっと役立ってくれる思想になると思いますので、本文も読んでいただけると幸いです。
悟り=「この世が幻である」と理解すること
「悟り」を広辞苑では以下のように説明しているそうです。
迷いが解けて真理を体得すること
しかし著者は、釈迦の言っている「悟り」はこのようなものではないと言います。
では、「悟り」は何なのかというと

ワケガワカラナイヨ
まず「悟り」を目指す方法の瞑想から見ていきます。
瞑想は長期間続けるもんじゃない
瞑想を何年も続けて極めれば、世界の心理に辿り着き全ての悩みから解放されそうなイメージを持っていました。
映画や漫画ではこんな感じで瞑想を取り上げていることが多いと思います。
しかし著者曰く

瞑想ってゲームなの??
悟りとは、「この世が幻である」と理解することと先ほどでてきました。
幻とは、例えば映画マトリックスの世界のようなところです。
マトリックスでは、外の世界にいる実体の人間の脳にプラグが刺されていて、人間の意識は電脳空間に繋がれておりそこが全ての世界だと思いこんでいます。
電脳空間にいる一般人たちは、外の世界にこそ実体があり電脳空間の方は幻であるということに気付けない分けです。
ちなみに主人公たちは電脳空間であることを知ってしまったため戦いの物語が始まるのですが、管理人の好きな作品です。
釈迦の時代の人々は、電脳世界のような幻の世界を想像することが困難でした。
そのため瞑想により、脳内にこの世とは別の世界を創造する訓練をして理解に努めていました。
現代人ならVRゴーグルを付けてゲームに没頭すれば、それで瞑想の目的を果たせます。
ヴァーチャルリアリティ空間に入り込むと現実世界のことを忘れます。
つまり幻であるはずのヴァーチャルリアリティ空間を現実世界と錯覚します。
しかしですよ、我々が現実世界と思っているこの宇宙すら、さらに外の世界のヴァーチャルリアリティ空間であったとしても我々は気づけていないということになります。

最近の宇宙物理学の「ホログラフィック原理」にも通ずる興味深い考え方です。
「この世が幻である」と理解できたら、もう瞑想はしなくていいよというのが釈迦の教えだそうです。
煩悩は消せないので程ほどに
この世がVRのような幻なんだと思えたら、それで「悟り」終了でした。
何かあっけないですね。
それは我々が「悟り」をゴールだと勘違いしていたことによります。
本当は「悟り」とはスタートラインだったのです。
「悟り」を得ても解き放たれたかった煩悩について見ていきましょう。
煩悩は生きている限り消えない
「悟り」に至れば煩悩は消えると思っていました。
しかし釈迦は煩悩が消えるとは言っていません。
むしろ煩悩とは程ほどに付き合いなさいと言っています。
食欲・睡眠欲・性欲も煩悩であり、消えてしまえば自身が死ぬか種が絶滅します。
人間も生き物として設計されている以上、煩悩が完全になくなることはありません。
問題となるのは過剰な煩悩です。
煩悩の中身
釈迦時代の煩悩
釈迦の時代の煩悩とは、生老病死の苦しみでした。
病気は治らないし痛いし、生きているだけで辛過ぎるという状況です。
そこで釈迦は
- この世は幻であるのだから、生老病死も幻の中の現象に過ぎない
- それを苦しく感じるのは、自身の心が生み出した幻覚である
と説いたわけです。

病気は治らないので、病気を辛いと感じている心の方をコントロールできるようになろうぜってことですね。
哲学めいています。釈迦は哲学者って感じですね。
現代の煩悩
現代でも死は回避できませんが、病気は治るようになったため生きている間の苦しみは釈迦の時代と比べほぼなくなりました。
多くの人間は活きることは素晴らしいという価値観を持っています。
では現代では何が煩悩となっているのでしょうか?
人間が煩悩を生み出しているのです
- 天国に行ける、地獄に落ちる
- 物欲
- 見栄
天国と地獄
釈迦は天国が有るとも無いとも言っていないそうです。
良い行いをすれば天国に行けるとか、悪いことをすると地獄に落ちるとか言い出したのはの後の世の人々です。
生老病死は物質世界のことでしたが、天国・地獄は精神世界のことです。
人間が自ら煩悩を増やしています。
物欲と見栄
物欲・見栄も、物が売れるようにとコマーシャルやメディアを使って人間が刺激して生み出しています。
- 芸能人の××さんみたいなゴージャスな暮らしがしたい
- みんな持っているからこれは買わなきゃ
このようになりたいという煩悩を植え付けられ、実現できないから苦しく感じてしまう。
人類のとんだマッチポンプですね。
著者は別の書籍「君は1万円札を破れるか?」で、お金が欲しいという煩悩も他人に植え付けられた価値観であると説明しています。
↓「君は1万円札を破れるか?」を読んで買いた記事です。
マインドフルネス必要なら転職した方がよい
マインドフルネスは瞑想を土台にしていますが、解く課題はビジネスの問題です。
お金を稼ぎたいがうまくいかないから苦しいということに対して、こうすればうまくいくという方法を考えだすためにあります。
そこで著者は言います。
ストレスの原因は仕事の内容が嫌いだったり、手に追えなかったりということなので、転職して根本原因を取り除いた方が良いとのことです。

マインドフルネス興味あったのに、これは残念な情報です。
しかし著者の意見なので、マインドフルネスに関する別の方の見解も調べるつもりです。
まとめ:瞑想はVRゲーム
悟りは「この世が幻である」と理解することでした。
瞑想はそのことを理解するために用いるVRゲームのようなものです。
そして悟りを体得しても煩悩が消滅するわけではありません。
物欲や見栄といった現代の煩悩は人に植え付けられたものです。
とはいえ煩悩を消すことは叶いません。
「これが欲しい」と思ったときに、この気持ちは誰かに誘導されているのかもしれないと考えてみるとミニマルな暮らしができるかもしれません。




支出の最適化に関する記事です。