資本主義全盛の現代、大半のことはお金を払えば成せます。
しかし何でもかんでもお金を払えば買えるという商品化をしてしまって人間は良いものなのでしょうか。
また、そもそもお金では買えないモノもあります。
HUNTER × HUNTER 1巻での下記の件が好きなので例に出します。
何故ハンターを目指すのか聞かれたレオリオは「金さえあれば何でも手に入るからな」とうそぶきます。
クラピカが間髪入れずに「品性は金では買えないよ」とツッコミを入れるのが素敵です。
どんなにお金を配りをしていても、尊敬できないですし品性は手に入らないだろうなと現実でも思います。
ちなみにレオリオの本心はその後で語られます。
- 友達が治るはずの病気になったが、お金が払えずに死んだ。
- だから医者になろうと思ったら、お金がないとなれないことが分かった。
- 金が必要だからハンターになる、と。
お金がなければ助かるはずの命を救えないのも事実ですが、お金でこの世の全てを買えると思ってしまうのは危険です。
特に現代は世界が発展し過ぎて物が売れなくなっているため、道徳的に適さないモノまで商品化されています。
ハーバード白熱教室でお馴染みのマイケル・サンデル氏の「それをお金で買いますか」を読んで記事にしました。
それを商品化して良いのか?
冒頭で「品性は金では買えないよ」と例をだしましたが、他にもノーベル賞もお金では買えません。
仮にお金でノーベル賞を買えばノーベル賞の価値を0にして、買ったこと自体を無意味にしてしまうからです。
お金で買えないからこそ価値を維持できるモノというものも世の中にはあります。
それではお金を払って価値を棄損しないものは全てお金で買えるように商品化して良い物でしょうか?
本書で書かれていた例をいくつかご紹介します。
コンサートのダフ屋行為
ダフ屋行為は法律で禁止されている悪行です。
しかし経済学的に見ると
- コンサート主催者は売りたい金額でチケットを売れた
- ダフ屋は高額で転売して差額を儲けた
- ユーザはいくら高額払ってでも欲しいチケットを手に入れた
みんな目的を果たせたからOKという判定をしてしまいます。
そんな馬鹿な、という話ですね。
ダフ屋を潰すために、最初からチケットの値段を需要に合わせて高く設定すべきという考えも出てきます。
しかし、そうするとコンサートに参加できるのは金持ちだけということになります。
コンサートを好きなら高額を払うはずといっても一般人が出せる金額には限度があります。
大してコンサートを好きでもない金持ちが集まったコンサートは盛り上がらず、何で開催したのかよく分からなくなってきます。
チケットの金額は、コンサートを好きな人が買える価格に設定されているからこそコンサートの存在意義が維持されていると言えます。
だから、それを破壊するダフ屋行為を許してはならないのです。
渋沢栄一は「論語と算盤」の中で、資本主義が暴走することを予期して道徳を失ってはならないと書いていますね。
先見の明に驚くとともに、今こそ読むべき本と思います。
↓「論語と算盤」を読んで書いた記事です。
黒サイの狩猟権
黒サイが密漁により絶滅しかけています。
そこで黒サイを合法で狩猟できる権利が高額で販売されるようになりました。
- ハンターはお金を払うことで好きな狩猟ができる
- お金をもらった牧場主は黒サイを保護して育てる
- 黒サイの個体数は増える
経済学的には、絶滅しかけていた黒サイの数が増えるのでOKという考えになります。
うーむ、この例はどうでしょうか。
黒サイの全体としては良いかもしれませんが、狩猟される黒サイ個体にとっては不幸です。
しかも人間が食べるために狩っているのではなく、ただハントしたことを自慢したいということのために殺すことを認めてしまっています。
もしこれが黒サイではなくスラム街に住む人間だったりしたら、助かる人間の数が多くなったとしても絶対に許されるわけがないですよね。
人間の道徳とはどういうものなのかを考えさせられる例です。
インセンティブのためのお金
経済学的にはインセンティブがあるから人間は行動すると考えます。
しかしそんなにシンプルに人を動かせるのかという事例が書かれていたので紹介します。
保育園のお迎え遅刻の罰金
保育園がお迎えに来る親の遅刻が多くて困っていました。
そこで遅れた場合には罰金を取るようにしました。
罰金を取れられるのは嫌だから遅刻せずに迎えに行こうというインセンティブになりそうです。
実際どうなったかというと、遅刻する親がさらに増えました。
お金を払うことで延長のサービス料であるとの認識を与えてしまい、罪悪感がなくなって悪化しました。
他にも、山でゴミを捨てないように罰金化したら、ゴミ放棄料金だと認識されてゴミが増えたという事例もあります。
禁煙したら報奨金
喫煙者が肺がんになり治療費がかさんでいるので、禁煙をできたら報奨金を払うようにしました。
功を奏して喫煙者は減りました。
ところが報奨金の制度が無くなった6か月後には喫煙者の90%以上が喫煙を再開してしまいました。
金の切れ目が縁の切れ目、お金で人の習慣は変えられないようです。
CO2排出権
地球温暖化の原因が科学的に何なのかまだはっきりしていませんが、日本でも異常気象が常態化しており地球が人類にとって住みにくい星になっているのは間違いないでしょう。
CO2がたぶん地球を温暖化させてるから、人類が絶滅する前に何とかしようぜって活動です。
とはいえ綺麗ごとだけで人間はなかなか変われないから、インセンティブを用意しましょうというのがCO2排出権です。
CO2の排出を減らせばその分を売ることができる、よし頑張ってCO2を減らすぞとなれば良いですね。
しかし、「お金払ってCO2排出権買えばいいんだろ、これで罪悪感なくCO2バンバン出すこれまでの浪費生活を謳歌できるわ」となる気配が濃厚です。
グレタ・トゥーンベリ氏は激おこですね、それはそうでしょう。
リーマンショックを引き起こしたような複雑な金融商品を作るのもネタがなくり、次はCO2排出権という商品を作ったから、世界のみなさん金をベットしろという資本主義の強欲性が見え隠れします。
人類が欲望を制御して滅亡を回避できるかはこれから100年くらいの生き方にかかっているように思います。
FIREやミニマリストは、資本主義の暴走に反発する活動となり得るのではないかと考えています。
↓ミニマリストに関する記事です。
まとめ:CO2排出権は免罪符となり地球をさらに汚す
- ノーベル賞のようにお金では買えないモノ
- ダフ屋行為のように売買を許してはいけないモノ
- 黒サイの狩猟権のように道徳的にどうなんだというモノ
を見てきました。
お金がなければ生きてはいけないわけですが、それにしてもお金の価値が過剰に評価され過ぎているように感じます。
またインセンティブとしてお金を使って、失敗している事例も見てきました。
CO2排出権などは、金を払えばCO2をどんどん出しても良いんだという免罪符になりかねません。
ドンドン作り、ジャンジャン買って、ガンガン捨てるという浪費を辞めるのが人類を絶滅から救う第一歩なのではないかと思います。



