シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| の3月28日の舞台挨拶を観ました。
石田彰さんのコメントが、物語の考察を踏まえつつ視聴者の想いを代弁してくれていると感じてグッときました。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序のアフレコの時点で、庵野監督から渚カヲルの境遇を説明されていたと昔ラジオ番組で石田彰さんが言ってたことを思い返しつつ記事にしました。
本記事の冒頭はシン・エヴァンゲリオン劇場版:||をまだ未定な方への説明(ネタバレなし)を主としています。
3月28日の舞台挨拶に関しては「エヴァ:序の時点から渚カヲルの境遇を庵野監督から説明されていたらしい石田彰さんのコメント」から記載しています。
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||ネタバレない範囲の感想
ヱヴァンゲリヲン新劇場版は「序」でクオリティの高さに驚き、「破」で新展開にワクワクしました。
ところが「Q」はあまりにも説明がなく主人公の碇シンジが酷い目に合うため、なんじゃこりゃと思いました。
その時点でエヴァンゲリオンという作品から離れてしまった方がいるかもしれませんが、そんな方にこそシン・エヴァンゲリオン劇場版:||は見ていただきたい内容となっていました。
管理人はシン・エヴァを観て、Qでのフラストレーションはこのために存在していたのかと大分心が救われ、清々しい気持ちになりました。
TV版、旧劇場版から見ている方にとっては、25年分のエヴァの呪縛から解き放たれるエンターテイメント作品になっていると感じました。
管理人は音楽のライブに行って楽曲を入り込んで聞いてると自身の記憶がフラッシュバックするという経験をよくするのですが、シン・エヴァは観ていてそれと同じ状態になりました。
作品の物語を通して登場人物の心情と自信がシンクロすることで、人生のいろいろな経験と混ざり合い、観終わった後に「よし、頑張って生きていこう」という気持ちになれました。
エヴァンゲリオンの物語は今回を持って完結ですが、庵野監督からファンへの最大級の贈る言葉だったと感じました。
庵野さん、死線をくぐり抜けて大人になられたなと(笑)
※ここからは内容のネタバレを含みますので、もしまだシン・エヴァを見ていない方はこの先を見られない方が良いかと思います。
エヴァ:序の時点から渚カヲルの境遇を庵野監督から説明されていたらしい石田彰さんのコメント
舞台挨拶での石田彰さんのコメント「(碇ユイのことが大好きな)心情は人として分かるけど、ゲンドウくんっ!!(それで世界をリセットするのはやり過ぎ)」を聞いて笑いました。
視聴者の感想を端的に代弁してくれたなと(笑)
他には以下の意味のようなコメントをされていました。
- シン・エヴァの物語の中でシンジ、レイ、アスカ、ミサトは心の成長と共に卒業していった
- 渚カヲルは何度も何度もシンジを救おうとしていたが、シンジは自力で成長することにより自ら救われた
- 加持リョウジから、シンジを救うことを通して渚カヲル自身が救われたかったんですよねと言われ、舞台のサポート役のカヲルは(加持と共に)退場していった
- 立ちさる後姿を描かれていたらシャッターまで閉められて完全に退場させられてしまった(笑)
ユーモアを入れつつ、物語の考察を踏まえたコメントに聞いててグッときました。
昔、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序のアフレコの時点で、庵野監督から渚カヲルの境遇を説明されていた」とラジオ番組で石田彰さんが言っていました。
その内容が何だったかはそのラジオでは、もちろん言われていません。
ただ、シン・エヴァの作品中では以下が明言されています。
- シンジ「思い出したよ、何度もここに来て君と会ってる。」
- カヲル「生命の書に名をつらねているからね。何度も会うさ。」
エヴァの世界はループしており渚カヲルはそれを認識している存在だったと、エヴァ作品とは思えないほどストレートに示されました。
振り返ればヱヴァ:序の時点で
- 「また、(シンジはチルドレンの)3人目なんだね。」
- 「逢えるときが楽しみだよ。碇シンジ君」
ヱヴァ:破でも
- 「さあ約束の時だ、碇シンジ君。今度こそ君だけは 幸せにしてみせるよ。」
というセリフがあったため、ループ説は前々から濃厚と言われていました。
渚カヲルのこれらのセリフに感情を込められるように、ヱヴァ:序の時点から庵野監督は石田さんにループの話を説明していたと想像すると面白いものがあります。
考察:ヱヴァンゲリヲン新劇場版がループ設定を採用した理由
作品としては旧作とは完全に独立したものとして作ることもできたわけですが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版はループの設定が採用されています。
メタ視点での話になりますが『プロフェッショナル 仕事の流儀』での庵野監督のコメントも踏まえると新劇場版にかけた思いが感じとれます。
TV版のエヴァは未完の状態で最終回を迎え、25話と26話を作り直した旧劇場版も結末が消化不良になっていました。
結末が綺麗なことだけが作品の面白さではないので、旧エヴァも優れた作品だっと管理人は思っています。
ただ旧劇場版の消化不良感に取り込まれてエヴァの呪縛から逃れられなくなってしまったファンがおり(管理人はその1人)、庵野監督はそれを申し訳なく思っていたというのが『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見て分かりました。
新劇場版をループの設定にすることで、メタ的に旧エヴァからのファンを救済したいという願いが込められていたと想像すると面白いです。
作中の「エヴァの呪縛」「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」等は意図してメタ的な表現をされているんだろうと思います。
シン・エヴァはエヴァンゲリオン学校の卒業式みたい
エヴァンゲリオンを学校に例えると25年間留年しつづけていたと捉えることができます。
自主退学していったファンもいるでしょうが、エヴァの呪縛に捕らわれた人は通学し続け永遠と社会(外の世界)に出ていけないと。
新劇場版はエヴァンゲリオン学校を卒業するために用意されたカリキュラムだっと考えると、個人的には腑に落ちました。
- 序は始業式。新たな年次にドキドキしました。
- 破は文化祭。とにかく楽しかった。(その後大変な後片付けがあることは見て見ぬふり)
- Qは受験。苦しい、そして合否結果はおあずけ(笑)
- シン・エヴァは卒業式。寂しいけれど学校がなくなるわけではない。経験を胸に巣立とう
- シン・エヴァの舞台挨拶は謝恩会。新たな門出に良い話が聞けました。
エヴァンゲリオン的にはFIREは人生補完計画?
当ブログでは管理人がFIRE(経済的自由を手に入れ早期退職)を目指す過程を載せています。
昔からある早期退職の考えとは異なり、嫌な仕事は辞めるけれどやりたい仕事であれば続ける等、FIREは資本主義社会に行き詰まりを覚える若者が働くということを見つめなおす思考法と捉えることができます。
エヴァンゲリオンの人類補完計画ならぬ、「人生補完計画」といったところでしょうか。
お金を沢山稼ぐだけが人生ではないです。死んだあと墓場にお金は持っていけないですし。
時間・健康・自由といったい自分は何を人生で大事にしたいのかを見つめなおすことからFIREはスタートすると考えています。
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観てエヴァの呪縛から解かれた管理人は、新たな人生について前向きに考えていこうと、願いを改めてしました。


