サピエンス全史、ホモ・デウスの著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の3作目の著書「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」を読みました。
サピエンス全史では人類の過去について、ホモ・デウスでは未来について書かれていました。
21 Lessonsでは現在人類がどうすべきかについて書かれています。
感情論ではなく、データから現代や近未来の問題を見ているのに感銘を受けました。
今回の記事①ではテクノロジーの進化がもたらす問題について取り上げました。
人類の自由と平等の歴史はどうだったのか。
AIやビックデータの発展がどのように人類から仕事を奪い無用化していくのか。
この辺りの内容をみていきます。
自由と平等
著者は、自由主義と民主主義の批判的思考は、独裁者や非自由主義運動に悪用されかねないと冒頭で懸念を述べています。
改善が必要なので問題点をあげていくけれど、自由主義&民主主義よりも優れたものはこれまでの歴史の中でなかったということです。
平等について
3万年前の狩猟採集の時代から現在に至るまで、人類が平等であったことはありません。
狩猟採集の時代でも墓に埋葬されている装飾の有無などで差異がありました。
但し、その時代での格差は小さいものでした。
「財産」が生まれてから格差は拡大を始めました。
20世紀は例外的に格差が縮まった時代でした。
工場の生産ラインや戦争の兵士として健康な担い手が大量に必要だったため、庶民が重宝された結果です。
経済成長が続いている限りにおいては格差が縮まります。
経済成長の鈍化により格差が拡大する方向に戻ってきていますが、技術革新により経済成長を支えることはできます。
但し、破壊的技術をますます多く発明することとなり、環境破壊により人類の存続を危うくしたりなど重大なリスクを抱えています。
自由について
民主主義では、国の代表や政策を選挙により選んでいます。
選挙とは、国民に「どう考えているか」を問うものではなく「どう感じているか」を問うものだと著者は言います。
多岐にわたる政策の専門知識の全てを国民が持っていることはなく、感情に従い選択していくことになります。

有名人が出馬して人気投票になるのはいかがなものかと思っていましたが、選挙はそもそもそういう特徴を内包してしまっているということですね。
それでも、独裁政治よりもマシだと考えます。
↓藤崎竜先生の銀河英雄伝説が好きなのでこんなシーンを思い出します。
AIの進化がもたらすこと
AIは10年周期くらいでバズワードとしてあがってくるため今回どこまで進化が進むか私は怪しんでいるところではありますが、将来的には人類のあり方を大きく変えると本書には書かれていました。
人間のみが思考できるという思いあがり
AIがチェスや碁で人間に勝つのを見ても、決まりきったルールのあることにしかAIは対処できないでしょと私は思ってしまっていました。
人間には感情があるし、勘はAIには再現できないだろうと。
しかし、勘ですら脳に蓄積された過去のデータをパターン分析して最適解を選択しているにすぎないということが分かってきたそうです。
複雑度の違いはあれど、人間の脳がやっていることはチェスや碁の延長線上に過ぎないということです。
人間の感情もアルゴリズムに過ぎません。
バイオテクノロジーと情報テクノロジーが発展すれば、AIの方が私よりも私の感情をうまく理解できるという時代がやってきます。

人は自身の感情が分からず苦悩するため、瞑想で自身を見つめなおしたりしているわけですが、将来的にはAIにお任せで解決なんてことになるかもしれませんね。
AIが人の感情に適したアドバイスを返すために、AI自身が感情を持つ必要はありません。
バイオテクノロジーで人間の状態を観測し、情報テクノロジーで過去のビッグデータの中から最適解をアルゴリズムで提示すれば、人間よりも優れた判断をくだせます。
AIが完璧である必要はありません。
人間がそもそも完ぺきではないため、それよりも優れていれば良いということになります。
人間単体 対 単独コンピューターではない
コンピューター単体が人間に勝てなかったとしても、1対1の対決を想定するのは実践的ではありません。
コンピューターは同時稼働している他のコンピューターと常時情報をやりとりしてアップデートしていくことが可能です。
人類が他者の経験を取り込もうとノロノロ活動している間に、コンピューターの方は桁違いの速さで成長していきます。
人間は不要になる
機会が体を動かす仕事を奪ったときには、人間には考えるという仕事が残っていました。
しかし考えることがアルゴリズムで成り立っていることが判明してきたため、考えることもAIにとって代られ人間の仕事はなくなっていきそうです。
仕事が無くなる
資本主義と機械の普及にともなって、人類の仕事は農場→工場→デスクワークと移り変わってきました。
これまでは限られた訓練しか必要なかったため、人々は仕事を変えながら生きてこられました。
しかし、体を動かす仕事を機械に取られ、頭を使う仕事をAI取られた後に残る仕事は、機械やAIを上手に操るという一部の人間しかできない高度な内容になります。
例えば、ドローンを駆使する人材が足りなくても、レジ打ちをクビになった人がそれに転職するのはかなり難しいものとなります。
搾取より残酷な無用化
有史以来格差は存在し、富裕層に庶民が搾取される事態は続いています。
ただ搾取されても仕事があるだけまだマシという時代がやってくるかもしれません。
終身雇用は既に崩壊していますが、AIが進化しつづけると人間の一生の仕事も消え失せてしまいます。
高度な知識を要する医者や弁護士ですら、ビッグデータを抱えたAIに任せた方が成果の出る時代がやってくるかもしれません。
人類が生きていくうえで、人類の大半が無用な存在となります。
現在の資本主義の仕組みでは、働かない人は飢え死にしてしまいます。
AIとビッグデータを握った極一部の富裕層のみが生き残り、他の人類は不要とみなされ絶滅するというディストピアが訪れないとは言い切れません。
顧客すらコンピューターが担う
株式の売買はコンユ―タ―が自動で行っています。
物を売ろうと思えば、Google検索のアルゴリズムに忖度して情報を出さざるを得ません。
すでに売買の役割をコンピューターが担い始めています。
Google Mapが出たときは自身の選択を信じて道を進んでいたものの、Google Mapに従った方が早く到着すると何度か経験すると、自身で考えることをしなくなりました。
Amazonのお勧めされるがままに商品を買い、YouTubeの進める動画を連続再生する。
一旦AIに決めてもらうようになったら、人間は一生意思決定をしなくなります。
仕事の引き受け手だけではなく顧客としても人類が無用化される、なんだかよく分からない未来がやってくるかもしれません。
どうすべきか
ビッグデータとアルゴリズムを少数の人間が握る世界となれば、デジタル独裁国家ができあがります。
タダで便利だからと言って個人のデータの蓄積を単独企業に許してはいけません。
権限が人間からアルゴリズムに移っていくに従い、独裁できる危険が高まっていきます。
ビッグデータとアルゴリズムは人類の共有財産であって、誰かの独占を許してしまって良い物ではありません。
多くの人間の自由と(比較的)平等を守るためには、現行の民主主義や資本主知を仕立て直す必要があります。
政治がそう動くように選択するというのが、個人単位でできることだと考えます。
まとめ:AIとビッグデータの野放しはデジタル独裁国家を生むのか
AIは感情を持たなくても、人間の感情に配慮した選択を提供し、いずれ人類の選択権にとって代わるかもしれないということを見てきました。
一足飛びにそこまで発展せずとも、既存の仕事はどんどんAIに変わっていく可能性があるため、仕事の種類は複数もっておき、1つダメになっても他で生き延びれるようにしておくのが無難と思われます。
ビッグデータを単独企業や一部の人間に持たせてしまうとデジタル独裁国家を生み出すかもしれず大変危険です。
人類の共有財産とすべく、そしてそうなるように政治が動くように取り組んでいきたいなと考えています。



