ミニマリストやサステナブルなど、消費社会に対して疑問を投げかける取り組みが起こっています。
管理人も、大して要らないモノを買うためのお金を稼ぐために働くのがむなしくなってきて、必要最小限で生きていくための資産が手に入ったらFIREして、会社に縛られずに自由に過ごしたいと考えています。
余剰資金を投資に回して未来の自身の時間を買うという考え方です。
ところが「時間をお金で買う」という発想は時間を商品化しているため自由な時間にはならないと書籍「消費社会の神話と構造」に書かれていました。
消費社会の思想にどっぷりつかって生きてきたので、自由な生き方に変えるには考え方を抜本的に取り換えないといけないのかもしれません。
また消費社会は数値で測れる経済成長だけしていればOKという思想になっています。
自由に過ごせる時間の幸福感などというものは数値化できないので、価値として含まれません。
簡単に思想を変えられるわけではないのですが、自由を求めて理解を深めていきたいところです。
本記事では「消費社会の神話と構造」を参考に、消費社会と時価を商品化についてまとめました。
消費社会
現代の社会は平等を理想としています。(実態は不平等化が進んでいますが)
平等を実現するためには、測定できる必要があります。
それにより測定できるモノのみが幸福に貢献するという判断がなされています。
経済成長こそが幸福であるという単純な理論で資本主義社会は進んでいます。
また、消費社会は平等を理想と掲げながら、不平等が存在することで成立できるという矛盾を抱えています。
消費社会が存在するための事象
消費社会が存在するためにはモノが必要で、さらにモノの破壊が必要です。
経済成長はモノがどれだけ売れているかで見ていました。
売れた後のモノが役に立たなかろうが、幸福に繋がらかろうが関係ないのです。
モノを買った人に対しては、早く新たなモノを買ってくれと迫ってきます。
中世は神を信じることで社会を成り立たせていましたが、神がいるなら何で犯罪がなくならないんだとかのほころびが生じました。
そこで神に対する悪魔をおくことで、均衡を保っていました。
消費社会は、お金や消費行動を信じることで成り立っています。
消費することへの問題提起がされていますが、それと消費行動とが均衡することで消費社会の存在が保たれていると著者は言います。

消費社会を是正するための問題提起が消費社会の存在を支えているなら、いや、どうすりゃいいのさという感じですね。
消費社会は記号化
消費社会でモノは使用されることより、社会的地位のための価値が重くなります。
パーティーで1度しか着ない服にお金をかけるの等は使用することよりも、それだけ贅沢ができるほどお金を持っていると周りに誇示することが目的になります。
昔の貴族は浪費を見せつけることで、貴族である地位を維持していました。
特権階級を維持することでお金を得られたいたならば、浪費は維持コストとみなせるかもしれません。
現代のインフルエンサーも浪費をSNSや動画配信で見せることにより収入を得ているので、自ら望んで浪費するというより必要にかられて浪費しているという感じで、資本主義はだいぶこじれているようです。
時間の商品化
「時間をお金で買う」という言葉をよく聞きます。
しかしこれは大分変な言葉です。
自分の時間は自分のモノのはずなのに、なぜ買いなおさないといけないのか。
移動時間を1時間短縮するための特急料金が1万円なら、時給が1万円より大きい人なら買った方が得という計算になりますが、この前提には時間を考えなしに過ごすのは勿体ないという思想があります。
現代を生きる我々には時間を流れるままに自由に過ごすというのは、かなり難しくなっているのかもしれません。
まとめ:数値化できない幸福は経済成長に含まれない
平等を理想として掲げる現代社会は幸福に感じることであっても数値化できないものは無視して、経済成長こそ絶対だとして進んできました。
その結果、使わなくても不要でもとにかくモノを沢山購入すれば幸福であるという共同幻想ができあがっています。
自分の時間すら商品化されてお金で買うという自由のない世界になっています。
管理人はFIREの目的の一つに自由な時間を手に入れることがあるのですが、消費社会の思想にどっぷりはまって生きてきたので、思考をリセットしないと自由は手に入らないのかもしれないと思いました。



経済に関する記事です。