お金を稼ぐため働くことに辟易する資本主義の闇【100分de名著 資本論】

経済

経済的自由を手に入れて早期退職するFIREがブームですが、多くの方は「お金を稼ぐために働くのなんてまっぴらゴメンだ」と感じているものと思います。

働くことが嫌なのでは無くて、今のクソどうでもいい仕事もしくは搾取される仕事に辟易しているのでしょう。

戦後と比べて日本は物質的には豊かになっていますが、自殺者がとどまるところをしりません。

「資本主義」何かおかしいのではないでしょうか。

 

「NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』」を読んで、その原因を探りました。

資本主義以前の社会

資本主義以前の社会では、日常の生活に必要なものは自分たちで作ったり、みんなで集めてきたり、分け合いながら暮らしていました。

お金を出して買う「商品」の領域は限られていました。

そのためお金を稼げる仕事をしないと生活ができないなんてことはなかったのです。

 

「資本主義は地球資源を使ったポンジスキームになってないか [読書]資本主義はなぜ自壊したのか」の記事では江戸時代の日本のことも書いています。

資本主義化した社会の歪み

ミネラル豊富な水が湧く土地があったとします。

誰の所有でもないときは地域の人々が共同利用で自由に水を飲めていました。

しかしその土地を企業が買い上げ、水をペットボトルに詰めて商品として売り出したとします。

地域の人でも勝手に水を汲んだら窃盗になります。

企業のペットボトル水汲み工場で働き10本詰めると、1本のペットボトルを買うことができる賃金をもらえる。

ペットボトル1本分の水が欲しいだけなのに、10本詰める作業をさせられるとは極端な例えかもしれませんが、資本主義社会において資本のあるものが資本のないものを搾取するとはこのような構造でできあがっていきます。

利用価値より販売価格が重視される

資本主義は価値を増やし続ける運動です。
それ以上でも以下でもないものです。

資産を増やすためには、商品を売ったときの販売価格が重要になります。

利用価値が高いかどうかは比例しません。

 

広告はものを沢山販売するための行為ですが、商品の利用価値は微塵も上げていません。

むしろ広告費が商品の販売価格に上乗せされているため、利用価値を下げているとさえ言えます。

いらないことで販売価格を上げられて、消費者はその分余計に働いてお金を稼がなくてはいけなくされているのが現代の資本主義社会となっています。

 

保障が過剰で高い民間の保険、無駄に高機能な高級車、広告費がめちゃくちゃ上乗せされた新築マンション、無駄なものに溢れかえっています。

(本当に欲しい人は買えばよいのですが、そうでも無い人を広告で洗脳して買わせるところの闇が深いです)

 

無駄な商品を生み売り続けなければ資本の増加を維持できないほど、資本主義は限界に近付いていると考えることもできるのかもしれません。

「お金を使わないと経済が回らない」という言葉を聞いて昔はそういうものかと思っていましたが、不要な商品を世界中で買い支えないと回らない経済なんて、遅かれ早かれ限界を迎えるぞという気がしてきています。

使用価値を無視した効率化

民営化して効率化されると販売価格が下がりそうなイメージがありますが、外国では逆の事例がおきています。

スペインでは電気代が高騰し、電気代を払えなくなった高齢者がろうそくが原因の火事で亡くなる事故が起こったそうです。

 

企業が効率化するというのは、資産を増やすのが目的であって、それが満たせるなら使用価値が下がろうと関係ないのです。

人間が理性でそれを留められるのか、留めたとしてその企業は生き残れるのかが資本主義社会が崩壊せずにいられるかのキーとなりそうです。

学校給食が不味かった

私の母校は給食センターから給食が届けられていましたが、不味かったです。

学校の先生は給食は残さず食べなさいと言っていましたが、こんなに不味いものを出しておいて残さず食べろとか拷問か!と思っていました。

栄養バランスを考えた献立だからという理由だとは思いますが、同じ食材使って別の調理方法で食したいわ!と。

こういうただ決まりだからやりなさいという学校も、それを遂行する教師も全く信用に値しないと子供の頃から今でも思っています。

 

だいぶ話が逸れてしまいましたが、効率化のために給食センターで何校分かをまとめて作るようになり、それが不味くて生徒の反感をかってて、それってどうなん?という例でした。

労働力が「商品」化されたことの闇

個人の仕事では企業にはなかなか勝てず、日常の生活に必要なものを手に入れるためにはお金が必須の社会になっています。

すると個人は労働力(人生の一部の時間)を商品として企業に差し出すことでお金を得るということしかできなくなります。

 

企業(資本家)は買った商品を効率的に使い倒そうとします。

効率的に働くことを労働者が”快適”と思うかどうかは関係がありません。

商品だから代えも効いてしまいます。

善悪の問題というよりも、これが資本主義の本質的特徴なのだと考えられます。

 

労働力を「商品」化してしまった現代の資本主義社会は多くの勤め人の時間を搾取し、やる気を奪い去り、かなりの不幸をばら撒いていると考えられます。

物質的に豊かな日本で飢え死にする人は年間10人強ですが、自殺者が大量にいるのはこの不幸の現れかと思います。

生きるために働いているはずが、なぜ仕事が辛くて自殺してしまうのか

「死ぬほど頑張りな、死なないから」という名言らしき言葉を昔聞いてことがありますが、過労等で自殺する人がいるのだから、無責任なことを言うものではないなと思ったことがあります。

仕事が辛くて死を選んでしまう人がいますが、その理由は「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖ではないそうです。

「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負が、自分を追いこんでしまうのだそうです。

 

奴隷は強制労働をさせられてしまいますが、反骨精神はあれど、自殺しようというマインドにはならないそうです。

現代の勤め人は労働力を差し出さなければ生活できないという制限はあるものの、どこに労働力を差し出すかの選択肢に自由度があるため、かえって精神がやられやすいようです。

生産性が上がり過ぎたディストピア

世界のGDPはここ200年で100倍くらい増えています。

人口増加を無視して、めちゃくちゃ雑に考えると1人働けば100人生活できるということです。

物に溢れて働かなくて生きていけるならばユートピアですが、そうはなりませんでした。

 

溢れていても物を手に入れるためには、お金を稼ぐための仕事をしなくてはいけません。

生活に必要なものは1人の労働で賄えているので、残り99人がお金を稼げるようにどうでも良い労働が世界で生まれてしまった。

生きていくために穴を掘っては埋めるという無意味なことを繰り返す日々、まさにディストピアです。

 

資本主義は膨大な富を生みだし、人間の欲求や感性を貧しいものにしてきました。

じゃあ、どうするか

まずは資本主義のルールを理解し、搾取される側から逃れることが先決です。

不要なものを買わされて資本を絞り取られていては死ぬまでラットレースを続けることになってしまいます。

 

良い表現ではありませんが、搾取される側から搾取する側に回るのが脱出の第一歩になると考えます。

株式投資をして資本家側に回ったり、会社を立ち上げて経営者側に回ったりということです。

 

搾取する側に回った後に、資本主義の本能に従い無限に搾取を続けると人類と自然環境を滅亡させかねないですが、FIREはそこのバランスを取ろうとする思想とも考えられます。

お金はいただくのだけれど、あくまで自分が一生のうちに必要な分だけという制限が添えられるはずです。

 

若いうちは働いて搾取されるのだから、早期退職後は搾取する側に回ってその分を取り戻させてもらいますよ、と考えると一生の中でバランスをとっているのではないかと。

 

ただ資本主義の増殖本能はかなりの怪物なため、持続可能な状態に移行できるのか、暴走を続けて崩壊するのかは、FIRE後もよくよく見極めねばならないなと考えています。

労働力が商品として扱われず、労働が楽しい世界が戻ってきてくれれば喜ばしい限りです。

 



まとめ:お金を稼ぐために働くことに辟易する資本主義の闇

マルクス『資本論』を読み解いてくれた本を読むことで、資本主義とは価値を増やし続ける運動であることをみてきました。

合理化が進めば富は増えますが、労働の喜びを奪い去り人間の欲求や感性を貧しいものにしてきました。

お金を稼ぐために働くのなんてまっぴらゴメンだという状況に追い込まれているのは、資本主義の闇の側面と捉えることができそうです。

 

まずは資本主義のルールを理解し、搾取される側から逃れることが先決です。

FIRE思想は暴走した資本主義社会にバランスをもたらすものとなってくれるかもしれません。

 

 

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