投資の収入によるFIRE早期退職は資本主義が持続されることを前提としていますが、FIREしたくなるほどに仕事で心が荒むのも資本主義の影響と考えられます。
資本主義が崩壊した後の社会がどうなるかは考えても仕方のないことですが、FIREの拠り所としている資本主義とは何なのかを考えておくことには意義があると思っています。
「資本主義はなぜ自壊したのか」を読んで思うところが多かったため、本記事でご紹介します。
資本主義の急速な発展は、地球資源や人類の未来を用いたポンジスキームになっているのではないかと危機感を覚えます。
資本主義の現状
資本主義はさまざまな恩恵を人類に与えてくれています。
- 信じられないほどの科学的発明
- 生産性の上昇
- 物質的な生活水準の向上
企業は世界全体で見れば成長を続け、おかげさまで株式を保有しているだけで生活していけるというシステムが成り立っているのが現状です。
しかし、あまりにも発展しすぎたために地球の限度を超えてしまっている一面もあります。
- 地球破壊はとどまるところを知らない
- 先進国では人々の心が荒む
- 社会も疲弊し始めている
資本主義は、崖に向かったチキンレースでアクセルを踏み続けているようだと子供でも感じるところだと思います。
投資された元本を切り崩して見せかけの利益を分配するポンジスキームのようです。
SDGsやESG経営は、地球が、人類の存続がそろそろヤバいからアクセス踏むのやめましょうという取り組みと認識しています。
これがうまくいったとしても崖に向かっていることに変わりはないので、100年後か1,000年後か分かりませんが、人類が滅びかねないという状況は変わらなそうです。
まぁそんな先のことは偉い政治家や学者先生に任せるとして、身近なところを考えていきます。
資本主義の罪
資本主義が以下の3つを取引対象としてしまったことで、市場経済はおかしくなってしまいました。
- 労働
- 土地
- 貨幣
労働
市場経済で取り扱う対象は本来、再生産が可能なものであるべきです。
ところが労働にあてる時間は、人間の1回きりの人生の1回きりのものであり再生産はできません。
我々が労働により得ている賃金とは、自分の人生を切り売りして得たものに過ぎないと書かれていました。
「労働の商品化」が人間から仕事の喜びを奪っていった
資本主義は労働を細分化して人類全体での生産性を圧倒的に高めた一方、人間の働く喜びを徹底的に削りとっていると思われます。
また金さえ稼げればよい、自分さえ良ければそれでよいとするミーイズムが蔓延して社会的疲労が目に付きます。
SNSで誰かを吊るし上げる惨状も、資本主義の生んだ悲劇のように感じます。
資本主義の思想は人々から社会的連帯感を奪ってしまったのかもしれません。
最近読んだ本で、資本主義経済は労働者が残り寿命を切り売りしてお金を得ているから精神を病むのだと書いてありました。
病気等で倒れると人生が詰みかねないので、どのように働くのかは見直しが必要そうです。 https://t.co/Awl6NW00a3— みかかFIRE@2023年FIRE目標 (@MikakaFIRE) March 29, 2021
貨幣
貨幣とは取引における道具に過ぎないのに、その貨幣があたかも商品のごとく市場で売り買いされていることは虚妄であると言えます。
実態の伴わない投機でありまさにマネーゲームだということになります。
FXや仮想通貨はギャンブルであると捉えています。(管理人はギャンブルをしませんが、ギャンブルを好きな人は否定しません)
経済学で扱えない対象
伝統的な生活習慣が失われることは社会にとって損失かもしれませんが、金銭で現せるものでない限り経済学の対象とはならず、無視されます。
資本主義は経済学で扱える利潤の獲得のみに躍起になりますが、その裏で自然や資源を激しく消耗させています。
深刻な地球環境破壊と資源の枯渇は、人類の存続自体を危ぶませるものになってきます。
グローバル資本主義ネットワークに入らない国
ソビエト連邦は崩壊し今の地球ではグローバル資本主義に入らないと北朝鮮のような地獄の環境になってしまうと思ってしまうかもしれませんが、そうではない国もあります。
例えばブータンとキューバはグローバル資本主義のネットワークに入ることを主体的に拒否しています。
物質は豊かではないし、インフラも先進国とは比較にならないくらい貧しいです。
しかし、そこで暮らす人々は自分たちの今の生活を肯定的に捉え、日々をゆったりとした気持ちで暮らしているように見えたそうです。
アメリカはアメリカ資本主義こそ正しいものでありそれを世界に広げようと躍起になり続けていますが、ヨーロッパはそれを冷めた目で見ていると書かれていました。
日本はアメリカ思想にどっぷりなところがありますが、そうあることが幸せに繋がっているのかはじっくり考えていきたいところです。
日本は元来、脱・資本主義に向いた国
地球上の主たる文明の中で有志以来「一国家・一文明」を維持してきたのは日本しかないと書かれていました。
日本は大陸から離れた島国であり、人間の流動性が少なく生活空間は限られているため、相手の弱みや油断につけ込んで目先の利益だけを追求する戦略ではかえって損をする結果になっていました。
江戸時代の日本
江戸時代に日本を訪れた外国人には、日本人は貧しい階級の人々でも「心は荒んでいなかった」ように見えたそうです。
支配階級から一方的に搾取されているという感覚が薄かったからではないかと考察されています。
江戸時代の日本は自然と調和し、人々の心に安寧がある、人類が持続可能な生活を送っていたと考えることができます。
現代よりよっぽどマシだったような気さえしてしまいます。
グローバル資本主義は鎖国していた日本に経済的な発展と人々の不幸をもたらしたと言えそうです。
では電化製品の全くない生活ができるのかと問われれば、それはNOなのですが、それでも心が荒むことのない生き方に憧れます。
学生の頃、なぜ会社は売り上げを増やし続けないといけないのか、グローバル化しないといけないのか疑問でした。
社会人になり、資本主義とはそういうものであると一旦は納得しました。
しかし今になり、心を疲弊させてまでなぜ資本主義に乗り続けないといけないのかが分からなくなっています。
高度経済成長期の日本
高度経済成長期に日本のメーカーが強かったのは、1次のメーカーと2次受け以下の部品メーカーが長期的なパートナーシップを前提に、設計段階から綿密な情報や意見の交換をしていた効果だと書かれています。
「日本の社会は悪平等だ」「日本の企業は非効率だ」とアメリカから揶揄されていた時代の日本の方が今より精神的に豊かだったのではないかということになります。
終身雇用と年功序列が維持され、老後は年金で国が面倒を見てくれる一億総中流が持続できる制度であったならば、どんなに素晴らしかったかと思います。
資本主義の歪みが生み出したFIRE思想
一神教では労働は「苦役」とされています。
そたのめ欧米人は早くリタイアして別荘でゆっくりと余生を過ごすといったFIRE的な価値観が昔から強かったそうです。
多神教を基本とする日本の文化では、労働は神事であり、働くことは生き甲斐であるという価値観が根付いていました。
ただグローバル資本主義化された現代の日本では労働は苦役になりさがり、FIREしたい日本人が多く現れるのも無理からぬことと思われます。
現代は資本主義が主体となっているため、そのルールの中でいかにうまく立ち振る舞うかを考えFIREを目指すのが妥当であると考えます。
それと合わせて、資本主義ってそもそもどうなん?ということも長い時間をかけてユルユルと考えていきます。
まとめ:資本主義はなぜ自壊したのか
「資本主義はなぜ自壊したのか」という本のタイトルが過激ですが、まだ自壊していませんし、まだ50年くらいなら維持されそうに思います。
しかしFIREすると資本主義が持続されることに全賭けするような状況となるため、どういう傾向がでてきたら資本主義が滅ぶのかは警視しておく必要があります。
FIREしたら自由な時間を多く取れるため、資本主義の国で暮らし続けていくのが幸せなのかといった、現実離れした構想もしてみようと思います。
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